パイプの愉しみ方

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ミロ、ピカソ、ダリ カタルーニャ美術館巡り

K..H. 生

スペイン・カタルーニャ自治州フィゲラスで10月に開催したパイプスモーキングのワールドカップに、日本パイプクラブ連盟の遠征チームの一員として参加したのをきっかけにバルセロナにあるジョアン・ミロ美術館、パブロ・ピカソ美術館、フィゲラスにあるサルバドール・ダリ劇場美術館を廻り、じっくり鑑賞した。

ミロ、ピカソ、ダリはいずれも20世紀を代表する美術の巨匠である。いずれもカタルーニャ地方に個人美術館がある。

今回のフィゲラス遠征を機に、「この3つの美術館を是非廻りたい」と音頭を取ったのは遠征団の団長格で美術に造詣が深いS博士と美術愛好家のK氏。同行のK教授と私は、美術は好きなものの熱烈な愛好家というほどでもないが、お二人の熱意にほだされ一も二も無く賛同して4名で一緒に廻った。

最初に訪れたのはムンジュイックの丘に佇むミロ美術館。我々が宿泊したエスパーニャ広場近くのペントハウスから至近距離にあるので、朝一番で徒歩で向かった。丘の頂上にある博物館になっているムンジュイック城までまず登って、市街地の景色を一望。麓の松の木の香りがほのかに漂うオリーブ並木の広い緩やかな坂道を下りながら、しばらく歩くと白亜の開放的な現代風洋館が見えてきた。早朝とあって見学客はまばらでチケットを購入してすんなり入場できた。余計なことながらチケット売り場のお嬢さん2人はいずれも目を見張るような美貌だった。ミロ美術館はミロ自身の発案で1975年に開館。所蔵作品のほとんどはミロが寄贈したものだそうだ。展示してある作品は初期と晩期のものが多いという。

ミロは画集では20世紀のシュールレアリスムの画家として扱われることが多い。しかし奇想天外なシュールレアリスムとはいささか違って、私は19世紀のフランスのポスト印象派のポール・ゴーギャンに似た生命力溢れる作風の画家という印象を強く受けた。原色を鮮やかに使って人物、鳥などをデフォルメして描くが、描法は写実的。K教授が「ミロは意外に堅実だなあ。まともな奴だなあ」と呟いたが、私も同感で彼はハチャメチャな芸術家タイプではない地道な画家という印象を受けた。ミロ美術館には、現代アートの他の画家の作品や彫刻なども多く展示されており、2時間もあればゆっくり館内を廻れる。美術館付属の御土産物売り場で、美術愛好家のK氏が決して安いとは言えない御土産をたくさん買い込んだのにはびっくりした。

美術館を出てタクシーを拾い、サグラダ・ファミリアに向かった。建設中でありながらユネスコの「世界の記憶」に登録されたこのカソリック教会は、バルセロナを代表する観光名所となり、年間に世界中から数百万人が見物に訪れるという。正午前だったこともあって入場チケットを買うにも長蛇の列。「お腹も空いてきたから、外側だけ見物することにしよう」と衆議一決。ゆっくり徒歩でこの壮大な建物の外観を観て廻った。

ど素人の印象に過ぎないのでお許し願いたいが、私の感想は「規模は大きいが、何だか良く知らないキリスト教関係の彫刻がごちゃごちゃとしており、日本人の感性には合わないなあ」というもの。教会の中に入ってじっくり見学すれば別の印象になったかもしれない。見物の観光客であまりにも混雑し過ぎていて、有難味が薄いというのが本音だ。

サグラダ・ファミリア近くのカフェ風の屋外の料理屋で昼食。赤葡萄酒に柑橘類を浮かべて風味をつけたサングリアを何杯も飲み、しばらくパイプを燻らして元気が出 たところで、お目当てのピカソ美術館に徒歩で向かった。バルセロナの大通りで感心したのは道がとても広く、歩道と自転車道、車道が完全に分離していること。解放感があって素晴らしい。方向感覚抜群で道に決して迷わないS博士に率いられる形で、旧市街の石造りの建物が立ち並ぶ迷路のような細い石畳の道をしばらく歩くと石造りのピカソ美術館に到着した。 13~14世紀に利用された宮殿5つを改築して1つの建物にしたものだそうだ。

この日10月12日は、イスパニア・デイで祝日。夕方からピカソ美術館は入場料が無料になると、ミロ美術館のチケット売り場の美人嬢に教えられていたが、はるばるバルセロナまで来て僅かな入場料を惜しむ必要はない。お蔭様で、チケット売り場の行列は数人程ですぐに入館でき、館内も比較的空いていて、じっくりと観賞できた。

フランス・パリのピカソ美術館については、先日、当HPで伊達國重氏が紹介して下さったが、バルセロナのピカソ美術館は中世の歴史的な建物を利用していることもあって趣がまるで違う。展示作品もピカソの幼少期の頃の習作から、所謂「青の時代」の作品が多く、キュビズム以前の作風を良く知ることができる。バルセロナの美術学校教師だった父親の絵も展示されているのが面白い。

この日は、ピカソが美術学校に入学前後の十代からパリに移り住んだ二十代の頃の写実的、古典的な作品が多く展示されていた。その印象は「ピカソの絵画の才能はずば抜けていた。やはり天才としか言いようがない」の一言に尽きる。美術学校の教師が「ピカソには何も教えることはない」と言ったという逸話があるが、むべなるかなである。幼少期から父親の薫陶を受けたピカソは、十代中頃には一流のプロの画家としての技量を身に着け、天性の才能を輝かせていたのだ。

ピカソ美術館でゆっくり2時間ほど観賞して、徒歩で宿のペントハウスまで帰った。万歩計で約3万歩。バルセロナを歩き通した一日だった。夜は、前夜に続いてペントハウス屋上でバーベキュー。地中海からの爽やかな浜風の中、ムンジュイックの丘の夜間照明に浮かび上がる壮麗な建築群を借景に、満天の星々に照らされながら葡萄酒とパイプと葉巻と料理を心ゆくまで満喫した。

翌々日の14日昼、バルセロナのサンツ駅で在来線の急行列車に乗り、のどかな田園地帯を眺めながら2時間弱でフィゲラスに到着。ホテルで一服した後、徒歩でダリ美術館に向かった。サルバドール・ダリの作品を集めた美術館は世界中にいくつか点在しているという。私はその中の一つ、パリのモンマルトルの丘にあるダリ美術館を訪れたことがある。ここはこじんまりとしていて個性的な展示でなかなか良いが、出身地のフィゲラスにあるダリ劇場美術館が本家本元。収蔵・展示作品は桁違いに多い。

ダリは幼少期から絵画に抜きん出た天分を発揮したという。裕福な両親はその才能を信じて、天与の才を思う存分伸ばす英才教育を授けたそうだ。ダリの才能は早々に開花して、シュールレアリスム絵画で最も人気のある「天才」として、日の当たる華やかな道を生涯歩み続けた。

フィゲラスはピレネー山脈の南麓の小さな町。訪れる観光客の殆どがダリ劇場美術館目当てと言って良いだろう。旧市街地をしばらく歩くと、濃い桃色の壁の上に巨大な卵のようなものがいくつも乗った奇抜な建物が見えてくる。さすがシュールレアリスムの大御所、見ただけで強烈な印象を与える。

劇場美術館の正面に廻るとチケット売り場。売り場の前の内庭の彫像などからして奇妙奇天烈な才気が迸っており、早くもダリの世界に入ってしまう。わざわざ「劇場」美術館と名付けているだけあって、収蔵品が展示されているだけのただの美術館とは趣が異なる。建物全体でダリの奇想天外な芸術全体を現している。

二時間余り、スリルを味わいながらじっくりと鑑賞して廻ったが、作品に記してあるのは名前と制作年だけ。解説の類が全く無い。ダリの芸術は、解説不能であことがよくわかる。

「おや」と思ったのが、ダリが自身の父親を描いた一枚の絵。デフォルメ無しの写実そのものの描法でパイプを手に持った父親の姿を忠実に描写している。ダリの芸術は奇抜そのものだが、敬愛する父親や終生連れ添った妻ガラを描くときの手法は古典的な写実である。これはピカソもそうで、自身の肉親や伴侶を、愛情を込めて描くときには、実験的な描き方はしていない。

キュビズムもシュールリアリスムも芸術家の芸であって主張である。自らにとって大切な被写体を描くときは古典的な写実に戻るのだ。

奇想天外の芸術家ダリの常識人としての一面を発見できたのが大きな収穫だった。