パイプの愉しみ方

パイプの愉しみ方

安全健康喫煙パイプ 開発譚   第三回 「転」

まさに転んだのが初めて経験する退職であった。2006年12月末日、34年9ヶ月の「一社懸命(造語)」に急ブレーキを踏んだ。

人事部長として「退職」をいかに防ぐか(ただし出来れば有能なものに限っては・・)と言うことは重要なテーマであった。その自分が退職したのだから、理由が「病」にあったとしても自らの信条からすれば「ころび」に違いない。
注)これは暗に「自分が有能だった」言いたいとちゃいまんねん(と、ここだけ関西弁) 一年間は線維筋痛症治療の基本であるストレスを避ける精神的リハビリに徹するつもりだった。

精神的リハビリというのは呑気に暮らすイメージだが、私のものは違った。まずは「減量」。 退職時に80キロ超の体を74キロまで落とした。節食とサイクリングに依るものだ。 自身のホームページ「バンジョー解体講座」http://www.din.or.jp/~banjo5st/で一緒に紹介しているが、印旛沼から江戸川に至り、また印旛に戻る100マイルのコースがある。ここでひたすら走った。

もう一つは「発明」。一日ひとつは何か便利なものを考えようと心に決めて実行した。もっとも、形まで紙に書くとなると、週に1つがせいぜいで、しかもくだらないものが多い。それと同時に始めたのが試作の為の元々趣味であった木工だ。

のんびりと映画でも見に行く事や、旅に出る事は、「頭が忙しく」なることで、やる前から何の価値もなくなった。新しいものをひたすら考え、図面にして、試作する。ついでに始めた旧作の自作楽器をリメイクする・・などで毎日がとても忙しくなった。会社はおおむね9時からだが、自宅では目覚めた瞬間から仕事が始まるのだ。

工房はキッチン。木屑と埃との戦いが始まった。

その忙しさの中でくつろぎを「パイプ」で得たのだった。(やっと来ましたね) 線維筋痛症は逆療法のお陰でいつの間にか消えていった。

パイプ開発者 紺矢哲雄