パイプの愉しみ方

パイプの愉しみ方

やんばるパイプ旅行記

五月のある日、愛煙幸兵衛先生から「翡翠葛(ヒスイカズラ)を観に行こう」と突然、お誘いの電話があった。「水戸の植物園ですか?」と尋ねたら、「沖縄のやんばるだよ」とのこと。何でも愛煙先生の沖縄の友人が、やんばるに別荘を持っていて、遊びに来ないかとお誘いがあるという。「このところ忙しいし、ちと遠いな」と思ったが、愛煙先生のお誘いを辞退する訳にはいかない。「せっかくの機会だから」と自分に言い聞かせて、数日後、羽田空港で先生と待ち合わせて、一路那覇へ向かった。

那覇空港には昼前に着いた。雲が厚く垂れこめた曇天。既に入梅しているからやむをえない。前日が大雨だったそうだ。那覇空港では、愛煙先生の後輩の大学教授T氏が車で出迎え。早速、やんばるに向かうのかと思ったら、T教授が「沖縄の守り獅子、シーサーの有名な作陶家に知り合いがいますから、それを見学して、那覇市内でお食事をしてからやんばるに向かいましょう」と提案。「それも良いな」ということで、那覇の作陶家の工房に。

那覇市の小高い丘の上にある工房では、若い弟子たち数人が一生懸命作陶に励んでいた。訊けば、皆、本土からやってきた青年だという。T教授の知り合いだというシーサーの著名な作陶家は、作務衣でも纏って、さも「芸術家でござい」の雰囲気を漂わせている御仁ではないかと先入観があったが、まったくの見当違い。工房奥にランニングシャツとステテコ姿で、デンと胡坐を掻いて煙草を喫っている太鼓腹の禿頭のオッサンがその人だった。

ご挨拶して世間話をするうちに、温かい心の気さくな好人物だということがすぐに判った。突然、訪れた我々を歓待してくださり、庭の藤棚の下で美貌の令室が茶菓でもてなして下さった。令室も本土のご出身だという。

冷えたレモンティーを頂戴しながら、愛煙先生ともどもパイプを一服。丘を越えて吹いてくる湿った風がパイプの味と絶妙に合う。しばし休憩の後、那覇市内のソーキソバの店で、舌鼓。私はソーキソバを東京の沖縄料理の某店と某空港で食べた経験から「名前は知られているが、実は不味いもの」だと思って敬遠していたが、とんでもない間違いだった。ラーメンも美味しい店と不味い店の差が著しいように、ソーキソバも美味しい店と不味い店の差は大きい。

T教授が案内してくれた店は、平日のランチタイムということで満員の盛況だったが、ちょうど席が空いて、座敷に案内された。しばし待って出てきたソーキソバは鰹の出汁がよく聞いて、まさに味は絶品だった。食事にうるさい愛煙先生も、黙々と召し上がっておられる。

ソーキソバに限らず、不味い郷土料理を平気で客に出してひたすら金儲けに勤しむ飲食店主、不味いものを広告代欲しさで「美味しい」とか何とか嘘を書いて紹介する旅行雑誌や観光案内。観光振興に寄生してイメージをぶち壊す下等な奴がはびこっている。腹立たしいとしか言いようがない。

食後、那覇市街から、やんばるまで高速道路で向かった。飛ばせば1時間半というが、T教授は安全運転を心掛け、パーキングエリアでゆっくり休憩しながら3時間かけて目指す山荘に着いた。この間、愛煙先生は車の中でじっとパイプを吹かしておられた。

夕方、愛煙先生の友人H氏の別荘に到着。別荘管理人が迎えてくれた。海を見下ろす丘陵の上にあるなかなか洒落た別荘である。主人のH氏は那覇から向っているところだという。まず一風呂浴びて、旅の疲れを取る。汗を流して愛煙先生ともども3回のテラスでパイプを燻らせて寛いでいるうちに、H氏夫妻が到着した。

早速、H氏が麓の料理屋から取り寄せたやんばるの山海の珍味が並べられて酒宴が始まった。歓談するうちにH氏が、頗る頭脳明晰、類稀な舌鋒の鋭さを持つ方であることが分かってきた。鷹揚な性格の持ち主が多い沖縄の方では珍しいと思う。議論大好きな愛煙先生と良い勝負だ。沖縄に憧れて移住してくるという本土出身者への余りに切れ味鋭い評価などH氏語録を紹介したいが、差し障りが大きそうなので割愛する。談笑するうちに、酒が廻り、話が支離滅裂になり、一同酩酊して早々に就寝。

翌朝は5時に起床。愛煙先生、H氏、T教授と早朝の散歩を楽しむ。もちろん、愛煙先生と私は朝のパイプを吹かしながらである。霧雨模様の中、やんばるの緑が朝日に映えて瑞瑞しい。T教授が、ご自分もパイプ喫煙を試してみたいとおっしゃるので、持ち合わせた柘製作所の新品パイプを煙草の葉ともども進呈して、味わって貰った。一服した感想は「シガレットは嫌いだが、パイプの味は素晴らしい」との由。社交辞令もあろうが、それからずっと喫い続けておられる様子を拝見すると、満更でもなさそうだ。

散歩から戻ると、万歩計が1万歩を超えていた。女優の久我美子によく似た気品溢れるH夫人が郷土料理を現代風に工夫した朝ご飯を用意していて下さった。名前は忘れたが、やんばるの野菜類は美味しかった。お茶を頂いてからH氏が運転する車で翡翠葛を観賞に向かった。翡翠葛は自生したものではなく、H氏の知人の個人植物園で育てたものだという。

途中、色々とやんばるの景勝地や風物を見学しながら目指す植物園に到着した。関西芸人のシンスケなる下品な輩がヤクザとの親密な交際が発覚してから、沖縄に逃亡し2週間ほど身を潜めていたという鄙びた旅館も外からチラリと拝見した。この無名だった旅館、やんばるの「観光名所」に昇格して宿泊希望者が絶えないそうだ。世間には物好きが多い。

霧雨模様だった雨が小降りになってきたが、わざわざ傘を差すほどでもない。露草が生えた泥濘の畦道をしばし歩いていると、路傍に南国風の可憐な花が咲いている。名前を伺ったが、誰もご存じなかった。しばし歩くと藤棚のような翡翠葛が見えてきた。「これです」。H氏が指差した先には、えも言われぬ美しさとしか言いようがない翡翠葛の花があった。幽玄の色彩の妙とでも譬えれば良いのだろうか、筆舌に尽くし難い美しさである。

絵心でもあれば、じっくり写生したいところだが、記念に写真を撮るくらいしか能が無いのが悲しい。この見事な翡翠色は一流の画家でも再現は難しかろうと思った。いつもパイプを口もとから離さない愛煙先生も、パイプを喫うのも忘れて面持ちでじっと魅入っておられる。眺めて観賞するうちに雨足が強くなってきたので、そろそろ帰ることにした。

いったん別荘に戻って休憩。昼ご飯は、H夫人も交えて沖縄では珍しい日本蕎麦の店に。沖縄で栽培した蕎麦の手打ちは美味しかったが、残念なことに店主自慢の汁(つゆ)がいささか凝り過ぎだった。

午後は、愛国者のH氏の案内で米海兵隊部隊が駐留する名護のキャンプシュワブを見学させて貰った。水陸両用車や装甲車に試乗させて頂いた。元海軍士官の愛煙先生もご満悦だった。雨も上がり、広大な基地内を歩いて回ったが、若い米海兵隊員が訓練に励んでいた。キャンプシュワブは二十歳前の新兵の訓練基地だそうだ。酒保も覗いたが、日本土産か中国土産かわからない品のない土産物類が並んでいて嘆かわしい。キャンプシュワブの沖合が、米軍普天間基地の移転先候補だが、潮風がきつかったので遠目で見学したのみ。夜は、普天間基地に近いT教授の別宅で酒宴、宿泊。翌朝の便で帰京した。

駆け足のやんばる旅行だったが、翡翠葛、目の保養をさせて頂いた。Hご夫妻、愛煙先生、T教授に心から感謝申し上げる。

愛煙幸兵衛2番弟子