パイプの愉しみ方

パイプの愉しみ方

一本のパイプ BARLING’S MAKE“YE OLDE WOOD”

柘 恭三郎

ブライヤーパイプでは老舗メーカーであるバーリング。1912年にメアシャムにスターリングシルバーの飾りをマウントしたのがパイプにかかわった始まりである。その前は銀細工の製作工房だった。19世紀中ごろからブライヤーパイプの本格的な生産を始めた。BBB,チャラタンに並ぶ古いブライヤーパイプのメーカーだ。

バーリングのパイプの面白さは、19世紀から20世紀初頭のパイプにある。1970年代の初頭、バーリングのパイプを輸入しようと思い、リヴァプールまで行き、インペリアルタバコ社まで行ったことがある。商談は大きなビルの一室。パイプの製作現場は見せてもらえなかった。

担当者は、英国で一番最初にブライヤーパイプを作ったのは我々だと盛んに強調していた。商談室に並べられたパイプは、アメリカマーケット向けのシリーズパイプだった。

シリーズパイプとはシェイプは番号ごとに決まっていて、クラスごとに仕上げを変えて価格の安いものから高いものまで揃えてあるものをいう。そのシリーズパイプの吸い口は、BARLING’Sのロゴがクロスされて刻印されているものだった。

私は担当者のパイプ談義を楽しみにしていたが、担当者は、たばこ部門から回ってきた営業マン。私が「戦前、特に19世紀のバーリングは素晴らしい、ストレイトシェイプの数々のモデルはその後の、英国におけるクラシックシェイプに影響を与えたのではないか?」と質問したが、当人はサッパリ解らない。なぜ日本人の、それも歳も若いのに、なぜそんなこと知っているのかと逆に質問された。従前のバーリングと違うのでがっかりした記憶がある。

若い時分、私が惚れ込んだバーリングのパイプ。それをなんとJPSCの節句田さんが持っていた。

刻印は、BARLING’S MAKE YE OLDE WOOD と ROBERT SINLAIR 85 NEW BOND STREET。

 この逸品パイプ、私が推測するには、1900年代初頭、ロンドンのニューボンドストリートにあったタバコ喫煙具店ロバート・シンクレアに依頼されて作ったのではないか。

ロバート・シンクレアは、現在のササビーズの前あたりにあった。当時、あの界隈はパイプやタバコの聖地と言っても良かったのではないか。バーリングトンアーケードのシモンズやサリバンがあった。ジャーミンストリートにはダンヒル、アストレイやチャラタン等。1930年代に入るとロンドンは逸品パイプの宝庫の感を呈していた。

節句田さんのパイプはポットとビリアードの中間のフォルムだ。なぜこのようなボウルになったのだろうか。それはボウルフットの中心から立ち上がっているグレインにあったのではないかと思う。恐らくシェイプとしてはビリアードを作りたかったのであろうが、途中でその素晴らしい木目に眩惑されてしまって、ポットっぽく作ってしまったのではないか。その気持ちは良く理解できる。真下のバーズネストから立ち上がる木目はほぼ全面に垂直に流れている。


ボウル、シャンク、吸い口のバランスは抜群である。ボウルから伸びるシャンクの直線的な流れは、リップ直前で収束している。フィッシュテイルではない。デンマーク作家達に影響を与えた当時のパラレルステム。また、吸い口のエボナイトの素材もいい。硬質感があり酸化もない。柘製作所としても何とかして当時のエボナイトを入手してパイプを作ってみたいものだ。

褒めついでに、刻印のシャープさは驚きだ。エッジのたった刻印を当時どうやって作ったのだろうか?

その刻印を作った職人に感動を覚える。20世紀初頭の英国のパイプ職人の凄さはあらゆるパイプ製作の場面で高度だったに違いない。

節句田さん、このパイプを柘製作所に持って来ない方が良いですよ。無事に帰れない!