パイプの愉しみ方

パイプの愉しみ方

パイプの煙 番外編  台湾・高雄物語

東京では木枯らしが吹き始めた11月中旬、台湾・高雄を訪問する機会があった。2週間前に北京に行ってきたばかりのせいか、その暖かさと自由の空気にすっかり魅せられてしまった。

大体、台湾といえばほとんどが台北訪問で終るが去年、今年と続けて11月に高雄を訪問している。国立高雄第一科学技術大学・日本語学科助教授で、古い友人である邱栄金氏の招待で、日台関係の講演をするためである。

台北に次ぐ台湾第二の都市・高雄は工場・軍港・港湾といった重厚長大のイメージが強く、駆け足で訪問する程度だった。

が、今回は日程に余裕を持たせ、博多とほぼ同じ人口150万都市をじっくり味わうことで、すっかり高雄が気に入ってしまった。

すべては新幹線の登場に尽きる、らしい。 今年三月、台北・高雄間に日本式の台湾新幹線が開通、わずか1時間半で南北の二大都市が結ばれるようになり、「台湾の人的、文化的交流は劇的な変化を遂げた」と現地の人々は口を揃える。

流行や文化にタイムラグはなくなった。日帰りで往復が可能となった二大都市は競合と共存が可能な関係に入った。

高雄は工業製品や農産物を出し入れする単なる港湾都市ではなく、台湾南部の文化を発信し、大陸とは民間ベースで交流する拠点になりつつある。

夜店がずらりと通りに立ち並ぶ風景は見慣れた台湾の姿だが、高層ビルのオフィスやマンション、ショッピングモールも拡大している。

それはオリンピックを控えた北京や上海のような無理なスピード感を伴っているというより、溜め込んでいた潜在力が新幹線によって引き出された感がある。

ひとことでいえば「重厚長大」なイメージから「おしゃれな」街に変貌しつつあるのだ。

筆者がもっとも惹かれた地域は、「軍港が見えてしまう」という理由で開放を拒んでいた中山大学付近の高台一帯だ。いまや海と夜景が堪能できる一大人気スポットとして、人々がナイト・ライフを楽しんでいる

夜の気温は23度。心地よい風が吹き抜ける。台北が雨季であるこの季節、半袖で歩ける高雄は快適である。

国立中山大学のキャンパスも開放され、蒋介石が愛用した車が展示されているのも見学できるし、駐車場も大学の経営だった。

「大学もちゃんと商売しているでしょ」―友人の高尾の実業家が巧みな日本語で笑いながら案内してくれた。

この高台の中心に居坐っているのが、イギリス領事館であった。

一九世紀初頭に建築された赤レンガの英国領事館は四年前、高雄市に返還された後、いまは長崎のグラバー邸のように市が管理・運営している。

展示館に加え、レトロ調でおしゃれなレストラン、土産物店もある。 蒋介石や毛沢東の写真、「おいしい台湾バナナをどうぞ」と書いた昔の日本の宣伝ポスター、若き日の故テレサ・テンのコンサートパンフなどが絵葉書になって売られているのが面白い。1枚20元、60円くらいだから何枚か買い込んだ

それにしても、こういう一等地にちゃっかり領事館を構えていたイギリスのしたたかさには、感心するばかりだ。

当時はパイプをくゆらせた外交官たちが美しい夜景を独占していたのだろう。

いまでは夜遅くなっても大学生とおぼしき20歳前後の若者や観光客が夜景を楽しみながら車やバイクで賑わっている。

もちろん、元領事館付近にも多くのレストランやカフェが林立している。 中南米には台湾と正式な国交がある国もいくつかあるが、蘇氏が案内してくれた屋外カフェは中米・グアテマラからやってきた者が経営する本場のコーヒーが売りであった。

タバコを吸っても構わないが、喫煙者は多くない。私もパイプを持ってこなかった。ここでスパスパやったら、さぞかしうまいだろうが、それは次回の楽しみにとっておこう。

ちなみにウェイトレスは大陸・天津からやってきた女性だったが、蘇氏に言わせれば「政治が介入することが、ろくでもない結果を生む。われわれは民間ベースでうまく大陸ともつきあっていける。下手に独立などと叫ぶから軍事問題にまでエスカレートする。迷惑なことだ」となる。

実利を尊ぶビジネスマンらしい。10年前、香港が英国から返還され、かつての自由と繁栄が喪失する中、台湾が代わって、華南の解放区になりつつある現実は否定しようがない。

台湾海峡に開かれた高雄の地位が新幹線開業でさらに高まり、ビジネスチャンスが拡大するのは必然だろう。政治の役目は、それを邪魔するのではなく、スムーズに行くよう適度なコントロールだけで十分だろう。

ま、むずかしい話は抜きにして、高雄が魅力的な都市に変貌しつつあることに気づいていただれば充分である。

千葉科学大薬学部教授 小枝義人