パイプの愉しみ方

パイプの愉しみ方

ブライアと優雅に遊ぶ 〜徳富博之の即興的パイプ制作

Thomas Looker (米国アマースト大学客員教授)
PIPES AND TOBACCO誌 (2006年夏号pp.20〜24)より

徳富とTeddy:その創意の類似性

徳富の作品を知れば知るほど、彼が初期に受けたSixten Ivarsson工房での修行とデンマークのパイプ・デザインの重要性が分かるようになった。徳富が日本の美学にデンマークのアイデアをどの程度調合したかをより良く理解するために、Ivarsson一族からBo Nordh、そしてGert HolbekからPeter Gedegaardなど一連のスカンディナヴィアの作家達を、さらに注意して見ることにした。しかし、私が本能的に感じ取ったのは、徳富と同じような作品の作り方をしているデンマークの偉大な作家はTeddy Knudsenだけであった。そこで、徳富とTeddyの作品をさらに研究するなかで、この二人の作家の創意の類似性に何度も気付かされた。徳富とTeddyのパイプはしばしば、遊びとユーモアの同様な感覚を呼び起こすのである。

  • 彼らの作品は、そのラインとシェープにしなやかさと柔軟性の感覚を示す。堅いブライアの表面は時として柔らかさと屈伸性をみせる(徳富のケースでは、クレイの資質を見せ、Teddyの場合は木が呼吸をしているように見える)。
  • 徳富の作品、Teddyの作品は共に、完全に視覚的構成であるがその各要素は互いに調和している: 視線をステムからボウルの縁部へ、そして吸い口からボウルの底部へ移動させながら観察しても、感覚が途切れることも不自然さに気付くこともない。
  • 二人とも、制作中はブライア・ブロックの特有性に洞察力と繊細さをもって反応すのである。名匠の手がパイプを形作り、姿を与えているのはもちろんのことであるが、私は、この二人の作家がその創造力を発揮するとき、ブライアに対する深い畏敬の念をもって接することを感じる:木はパイプの声を形に表わすうえでのイコール・パートナーにさえ思えるのである。
  • 最高の巨匠である徳富とTeddyが制作にあたる時、とくに努力しているようには見えず、無意識かつ必然性に従っているのである。作家はサンダーに向かって“無造作に座り”心のおもむくままに制作に入るのである。しかし、その軽やかな心と手の動きの裏には、極めて真剣な意志と細部にわたる注意が存在するのである。徳富とTeddyのパイプから、しばしば畏敬の念と同時に喜びを受けるのはこのためであろう。

 二人の作家に会ったとき、徳富もTeddyも互いに相手の作品に対して深い賞賛の言葉を発していたのは驚くべきことではない。世間的な賛辞の向こうに、互いの作品の間に響き合うシェープやアイデアの特有のこだまが存在するようにさえ見えるのである。しかし、両者の呼応が単なる模倣を超えた、はるかに複雑で創造的なやり取りであることを知ることが重要である。二人のジャズの演奏者が即興の反復楽節をやり取りするときに、互いに相手の楽節を繰り返すのとは異なるのである。私は、徳富とTeddyの作品の間にみられる相互作用に魅せられるのだが、彼らの間の相互影響に気が付いたのは最近のことである。

(終わり)
訳責:鈴木 達也 (国際パイプ・アカデミー終身会員)