禁煙ファシズムにもの申す

禁煙ファシズムにもの申す

郡山遠征記 その1
小谷野 敦

私が久米正雄伝を書いていることは、実は企業秘密であった。

といっても、漏れると誰かに書かれてしまうと思ったわけではなくて、もしかしたら書けない、やめてしまうかもしれないと思ったからでもある。

しかし、我孫子で里見クについて講演をした時に、実は久米伝を書いている、と話したのだが、聴衆は何しろ里見クでさえ誰だかよく分からないで聴いているから、ほとんど反応がなかったし、別にそれが漏れるということもなし、インターネット上で、小谷野がこんなことを言っていたと報告する人もなかったのは、聴衆に高齢者が多かったせいでもあろう。

ところが、どこから漏れたのやら、福島県の郡山市の文学館から、久米について講演をしてくれないかという連絡の電話があったのである。

もっともこれはいくらか珍妙な話があって、はじめ電話が大阪から掛かった。

私は大阪方面にはいくつか面倒な事情があるから、一瞬どきっとしたのだが、それは何やら、そういった講演の手配をする会社からのものらしく、久米について研究していらっしゃいますか、と訊く。

もう書いたものについて訊かれたら怒ってもおかしくないのだが、まだ出していないから怒る筋合いではないし、企業秘密といったって、我孫子で言っているのだから漏れてもおかしくないので、はいしていますと言ったら、郡山というのは久米の第二の故郷で、鎌倉二階堂にあった久米邸を十年ほど前に移築していた。

問題は講演料で、私は十万円貰わないと講演はしないことにしていて、そうでないと元がとれないからであり、講演というのは時間で拘束されるし、しばしば、私の書いたものなど何も読んでいないような聴衆を相手にしなければならず、疲れるからである。

しかしこれをクリアしても、郡山という場所に問題があった。

もう三年ほど前に、JR東日本は、新幹線や特急を全部禁煙にしており、それに続いてプラットフォームも全面禁煙にするという暴挙に出ており、私は東京地裁へ差し止めを求めて提訴し敗訴している。

ただし毎度言うことだが、かつて東海道新幹線が全席喫煙可で、嫌煙家らが喫煙車両を求めて提訴を繰り返したが、一度も勝訴はせず、国鉄のほうで自発的に禁煙車両を設けたのであり、裁判所はそうした問題には関与しないのである。

それゆえ私は、東北、上越方面には行けなくなったのである。特急でさえダメだというのだから、このような喫煙者弾圧に対しては、信念の上からも乗ることはできない。

だから、これが仙台以北であれば断っていたのだが、郡山となると微妙だ。それに、久米正雄伝を書くのに、やはり一度郡山へ行っておきたいという気もあった。

ところが、それから三時間ほどして、また大阪のそこから電話があって、文学館で、そういうことの外部委託はしてはいけないことが分かったので、これから自前で交渉するというので私どもは手を引きますという、不思議な電話であった。

実は全国各地にある「文学館」というものは、いまある危機に晒されている。

基本的には資金難だが、美術館と違って、文学館は展示といっても文学そのものは展示できないから、生原稿、作家の使った万年筆、単行本などを展示することになるが、美術の展示のような訴求力はないし、二〇〇三年に施行された指定管理者制度で、運営が民間に委託されることが増え、その民間団体が勝手な運営をすることもあって、現にそうなってから悪くなった文学館もあり、研究者たちが設立元の地方自治体に改善の署名を提出したこともあった。

そのうち、文学館の月山さんという女性から連絡があって、八月一日に講演をやることになった。

月山さんが、郡山にある久米家の墓地を調べていてくれたので、それまで分からなかった久米一族のことがかなり分かり、大きな収穫だった。

講演は一時半からだが、各駅停車で行くと五時間かかるので、前日午後乗り込んで一泊することにした。

その七月は大変な暑さになった。真夏日ではなく、猛暑日が四日も続き、私の家周辺では連日光化学スモッグが発生した。

私もずいぶん疲労したが、三十一日は幸いいくらか涼しくなった。

小谷野敦:比較文学者
学術博士(東大)
評論家
禁煙ファシズムと戦う会代表

2010/09/08