禁煙ファシズムにもの申す

禁煙ファシズムにもの申す

ハイパー愛煙家 ハンナ・アーレント

愛煙 幸兵衛

ドイツ映画「ハンナ・アーレント」の試写会に招待された。ナチス戦犯のアドルフ・アイヒマン裁判を、ナチスドイツに迫害されて米国に亡命したユダヤ系ドイツ人の政治哲学者ハンナ・アーレントが傍聴して、論文を雑誌に寄稿した結果、米国の民衆から激しい反発と憎悪を浴びた事件を淡々と描いた秀作だ。

観客に精神集中と思考の緊張を強いる重い題材の作品だが、閨秀映画監督マルガレーテ・フォン・トロッタの脚本が素晴らしく、まさに時間の経過を忘れて見入ってしまった。観終わった後、ずっしりと心に響く傑作である。ドイツなどで様々な賞を獲得したのは当然だろう。第二次大戦後、ずっと不振が続くドイツ映画界で、トロッタは異彩を放っている存在だ。

最近は、私も堕落してハリウッド系の娯楽作品しか観なくなってしまったが、時にはこうしたまともな映画をじっくり観ないと脳が退化するばかりだと深く反省した。

20世紀中葉を代表する政治哲学者の一人、ハンナ・アーレントについては、1970年頃だったろうか、「全体主義の起源」を読んだことがある程度の知識しかなかった。ただし、この「全体主義の起源」は、当時、猖獗を極めていた革命思想=左翼の全体主義思想=共産主義系の諸運動を断罪する決定的な本として、ずっと心に残った記憶がある。

堅苦しい紹介はこの位にしよう。

この映画で感心したのは、ハンナ・アーレントが片時もシガレットを離さなかったことだ。愛煙家という範疇の中でも、スーパーやウルトラレベルではない。桁違いの「ハイパー愛煙家」である。

彼女は寝ても覚めてもシガレットを口から離さない。大学で講義する際もシガレットを喫いながら、講義を終えると学生がシガレットケースを持ち寄り、彼女に恭しく献呈して、火を着ける。友人と語らう時も、書斎で思索の世界に沈殿する際も、紫煙が立ち上る。長椅子で転寝する際にもシガレットを喫いながらだ。政治上の同志の夫君もパイプ愛好家だ。映画でもパイプの喫い方が実に堂に入っていた。

私も70年以上、様々な映画を観てきたが、女主人公が終始シガレットを喫い続けている作品は、この映画以外、観たことがない。

この映画が彼女の実生活を忠実に描いたものだとすれば、彼女の深遠な政治思想、哲学はシガレットとともに生まれ、ニコチンとともに歩んだと言っても過言ではない。

そう、ニコチンは人間の思考力を高めるのである。タバコは脳を極限まで使う思想家には欠かせないものなのだ。私のごとき市井の名もない凡人にすら、タバコは思考の集中力を与えてくれ、また寛ぎと憩いを齎してくれる。

タバコを毛嫌いして嫌煙運動をしている人がいる。それは彼らの勝手だ。しかし、彼らは現代の文明と文化の高度な発達に、タバコがいかに大きく寄与したかを思い巡らせれば、今のような軽佻浮薄を絵に描いたような嫌煙運動は決してできないだろう。

この秋、現実から逃避せずに、もの思いにじっくり耽りたい方に、この映画をお奨めする。

http://www.cetera.co.jp/h_arendt/

10月26日(土)より、岩波ホールほか全国で順次上映予定。


2013.10.23