パイプの愉しみ方
パイプ よもやま話 その2 吸口
- 司会:
今回からパイプの騎士・柘恭三郎氏(柘製作所代表取締役会長)に加えてダンヒルパイプに詳しい青羽芳裕国際パイプアカデミー会員/日本パイプクラブ連盟理事長兼事務局長も交えたインタビュー鼎談にしました。話題の幅が広がり、話により深みが出ると期待しています。聞き手は同連盟副会長の香山雅美氏にお願いしました。では宜しくお願いします。
- 香山:
- それでは、ダンヒルパイプの真贋鑑定について各論に入りたいと思う。まずは吸口から始めよう。読者の中にはパイプ初心者も多いので、まずは基本の吸口の形状から解説してくれないかな。
- 柘:
19世紀のパイプの吸口の先端(口で咥える部分)の煙道の形状は丸い穴だ。20世紀に入ってから口切り(丸い穴の形状が横に広がって、細長い四角状か楕円を押し潰した形状になったもの)になった。同時にパイプの吸口の先の形状も、咥えるところがほとんど広がらないパラレルシェイプという形から、僅かに横に広がるフィッシュテイル(魚の尾鰭に近い形)が多くなった。フィッシュテイルは口に咥えやすいのが特徴だ。
ダンヒルの古い時代の特大のパイプを真贋鑑定する際の秘訣の一つが、パラレルシェイプかフィッシュテイルかということ。これは昔のダンヒルの職人たちが相談して「この巨大パイプは歩きながら喫うのは無理で、室内で喫うだけだから、フィッシュテイルにしない方が良い。する必要がない」と考えたものだと思う。
パラレルシェイプにしないと、パイプのバランスが悪くなるからだ。つまり昔風の特大パイプでフィッシュテイルのものがあるなら、それは吸口を新たに作り直したか、そもそも本物ではないか、吸口をダンヒル以外で修理したか、のどれかになるだろう。
- 香山:
- では、次に吸口の材質についての解説を。これがダンヒルパイプの真贋鑑定のミソになる話になるよね。
- 柘:
吸口の材料はエボナイト。エボナイトは生ゴムと硫黄とカーボンブラックの化合物で硬質ゴムとも言うね。黒檀(エボニー)に似た硬さと光沢があることから名前が付いた。磨くと漆のような美しい艶が出る。 ダンヒルはブライヤーパイプ製造の当初からドイツのニューヨークハンバーガー社製エボナイトを使っている。それは今でも同じだ。
一般的にパイプの吸口用のエボナイトには2つの種類がある。一つはエボナイトの板を削り出して作り、もう一つは丸棒状のエボナイトから作る。板から作るエボナイトは上質で、当時ドイツ製エボナイト板はこの会社しか作っていなかった。ダンヒルパイプは吸口にその最高級品質のエボナイトを使って仕上げていた。
ちなみに戦前は、エボナイトは、絶縁性があるので電気器具、櫛、靴ベラなどにも使われていた。高級万年筆に至ってはいまだにエボナイトが多く使われている。パイプの吸口としてはフランス、イタリア等のエボナイトメーカーがあった。しかし、現在、エボナイトの地位はアクリル樹脂にとって代わりつつある。アクリル樹脂製の吸口は、エボナイトと違って変色しないので多く使われるようになってきた。
- 柘:
話がやや広がってしまったから、ダンヒルのエボナイト製の吸口に話を戻そう。
ダンヒルのエボナイト吸口には2種類あった。ブラックエボナイトとマーブルエボナイトだ。ブラックエボナイトは一般的に使われている漆黒のもの。
マーブルエボナイトは、1980年から「カンバーランド」と言う名称で作られたパイプのクラスに使われている吸口。黒と朱色がまだら模様になっているのが特徴だ。
ドイツのメーカーではマーブルエボナイトの製品名だが、ダンヒルが「カンバーランド」のクラスに使ったので、一般的呼称がカンバーランドになってしまった。他のパイプメーカーでもマーブルエボナイトを使うと、カンバーランドと言うようになった。
なお、ダンヒルのシガレットホルダーもエボナイトだが、エジェクター式でクリスタルフィルターが入るものは樹脂製だ。
シガレットホルダーで根竹が使われているものはエボナイトを使っている。
- 香山:
- ありがとう。ここで私流のダンヒルパイプの真贋鑑定方法の秘訣を一つ披露しても良いと思う。ダンヒルパイプのブラックエボナイトの材質と、それ以外のパイプのエボナイトの材質の違いは、漆黒の真っ黒になるまで磨き上げた時にはっきり分かるということです。
ダンヒルパイプのエボナイトは黒の美しい光沢が見事だ。年代を経た古いダンヒルパイプでも同様だ。一般のパイプメーカーのエボナイトは、ダンヒルのような見事な黒の光沢は出ないと思う。磨き上げて並べて比べれば一目瞭然なのだけど、質感の問題だから言葉で言い表すのは難しいところがある。
- 柘:
- ミッケやイヴァルソンのような超高額の作家ものパイプはダンヒルと同じドイツ製のエボナイトを使っている。
- 香山:
- そうなの? それは知らなかった。私はミッケは3本しか持っていなかったので、偉そうなことは言えないが、ダンヒルと比べたらエボナイトの質がいまいちだと思っていた。事実がそうなら、私の認識間違いだったことになる。
- 香山:
- 話を戻すと、ただ、一口に磨くと言っても、普通の人がプラスチック磨きで丹念に磨いた程度では、ダンヒルかそれ以外かの違いはなかなか見分けにくいところがあると思う。熟練した職人さんが専門の機械を使ってピカピカになるまで磨き上げて、初めて違いが鮮明になると思って欲しい。
つまり、ダンヒルパイプの真贋鑑定では、新品の場合は最初に吸口のエボナイトの材質と仕上げを調べよと言うことだな。使用感のある中古のダンヒルの場合は吸口を後で交換した場合もあるから真贋判定は難しくなるが、新品と未使用品はまず吸口の材質と仕上げぶりで、ある程度は真贋の見極めがつくね。
- 柘:
もう少し詳しく説明すると、ドイツ製エボナイトとイタリア、フランスのそれらとの違いは、素材密度と粒子の細かさだ。
個人的には、ドイツ製のブラックカーボン(染料)の粒子が他のメーカーよりファイン(微粒子)なものを使っているのではないか、と思う。
漆黒の色が出るまで磨いて、蛍光灯の光を照射すると反射の線が真っ直ぐ走る。これでエボナイトの仕事の良さが分かる。反射の光の線が歪んだりしていない。曲がっているのは職人さんの仕上げが良くないことを意味する。
また、エボナイトから吸口を完成させるためには、各番手のサンドペーパーがけが必要だ。その各番手ごとにしっかりとペーパーがけ(サンドペーパーで磨き上げる工程)をしなければならない。これを怠ると最終的にダンジ、トリポリでバッフィング仕上げても細かい凹凸が残ってしまい、光は乱反射してしまう。ダンヒル以外のファクトリーパイプは金型で作られる量産型のエボナイトを使っているが、ペーパーがけや最終仕上げのバッフィングをおろそかにすると良いものは出来ない。
贋作作りの職人もエボナイトの材質と仕上げまではなかなか真似られない。だから良く観察すればエボナイトの材質と仕上げで真贋が分かる。材質はメーカーごとに違いがあるからね。
- 香山:
- 専門的な解説、ありがとうございました。
- 柘:
- エボナイトに関してもう一つ逸話を紹介すると、ダンヒルパイプのエボナイト製の吸口の中には製造から数十年経っても艶があって光沢が美しいものがある。私は拭き漆の技法が関係していると睨んでいる。つまり日本の漆工芸との関係がある。この辺は青羽さんが詳しいので解説をお願いしたい。
- 青羽:
- では少し長くなるけど最初からきちんと説明する。
松田権六さんは、後に人間国宝第一号になり文化勲章も受章した漆工芸の第一人者だった方だ。松田さんは1925年(大正14年)に並木製作所(現パイロット・コーポレーション)に就職した。それは並木製作所が蒔絵を施した高級万年筆を作りたくて戦前の東京美術学校(現東京藝大美術学部)に人材を求め、教授が推薦したのが松田さんだったからだ。ダンヒルの歴史を調べると、戦前のダンヒルともの作りで関わった日本の企業は並木製作所だけだったと思う。
松田権六さんが礎を作った蒔絵を施した万年筆はパリ・ダンヒルの責任者クレメント・コートに認められダンヒルで扱うことになった。現在、万年筆コレクターが夢中になるダンヒルナミキと呼ばれる超高級万年筆だね。そして並木製作所は万年筆の他にパイプにも漆を施すことになった。
ただその本数が徐々に増え、20万本という要望がダンヒルから出てきた。さすがにこれには対応できず、英国に渡って直に漆の施工が出来ないかという話になった。そこで漆芸家の松田権六さんに白羽の矢が立った。松田さんは既に並木製作所を退職して東京美術学校の助教授になっていたが、顧問としての仕事は続けていたからね。松田さんが漆の施工法の伝授と指導のために渡英したのは1929年(昭和4年)のことだ。
以前、柘会長と話をした時、20万本というのは蒔絵ではできないだろう、拭き漆だろう。そうなるとダンヒルは日本で拭き漆をやって送り返すということをやったのではないかという結論になった。
考えてみれば、万年筆のボディはエボナイト製で吸口の素材と同じだ、そもそもエボナイトに漆を施す技術をブライヤーより先に持っていたわけだし‥‥。
詳しいことまでは判らないが、ダンヒルのエボナイトの吸口に松田権六さんが関わったことは間違いない。
ちなみに蒔絵を施したダンヒルナミキのパイプがあることは、海外のダンヒルファンも知っている。現に2018年の東京での世界選手権大会の時にスペインのパイプクラブ連盟の会長はこのパイプを持ってきていたよ。
写真:蒔絵を施したダンヒルの時計
- 柘:
- 青羽さん、解説ありがとう。
ダンヒル社はエボナイトの黒色を、漆の技法を使ってさらに美しく磨きを掛けようと思ったらしい。「らしい」と言ったのは、この時代のパイプには吸口まで漆が使われているパイプが存在するからだ。松田権六氏は船で英国に渡ったから、漆工芸の道具も持って行った。
当時のダンヒルパイプのエボナイトには生漆を塗った形跡がある。色艶が素晴らしく、エボナイト表面が赤茶に変色する硫化現象が見られないからだ。松田権六氏から漆の技法を習ったダンヒル社は、随分お金がかかるパイプを作っていた。この当時のダンヒルパイプは、究極のパイプ作りにかける情熱が凄かった。
外国のダンヒルパイプの研究家は、日本の漆工芸については知らないから、こうした話に触れる人はあまりいないし、ダンヒル社の資料にも触れられていない秘話だね。
- 香山:
- 確かに100年前の古いダンヒルパイプの中には、吸口が新品みたいに光沢があるパイプがあるよね。
- 柘:
- 1930年代の古いダンヒルパイプ全部が漆塗りという訳ではない。赤褐色に変色している吸口もある。これらは拭き漆を施していないものだ。
こうした漆関係の話は資料には出てこない話だ。ダンヒルパイプの古いもので吸口が変色していないものがあったら、みっけもんだ。ただ磨かれている場合もある。今がダメだというわけではないが、昔のダンヒルパイプには実に素晴らしいものがあった。こんな企業はダンヒル以外にはない。だから我々だけでなく熱心なダンヒルマニアが世界中に存在するのだろう。
- 香山:
- エボナイトに漆が使われていて長い年月が経っても光沢があるものと、後で光るように磨いたものとの間には、微妙な質の違いがあるからよくよく見極める必要があるということですね。
当時のダンヒル社は、パイプで言えば後発企業だから、ひたすら品質の向上に努めて競合他社との差別化を図ったのだろう。
- 柘:
- 松田権六氏を中心に結成された蒔絵の職人集団「國光會」は1930年代に、ダンヒルパイプに漆絵を描いた。この國光会に関してはダンヒルは万年筆も製造していたから資料が揃っている。
漆の話のついでに言えばダンヒルは1930年代にサンドブラストのボウルと吸口の仕上げの塗りを松田権六氏から習った生漆でやってみたと思われる。だから1930年代のダンヒルのブラックサンドブラストの仕上げが少し赤っぽいのがある。私は漆だと踏んでいる。試験的に作ったパイプが市場に流れていたのではないか。これは私の私見ですが。
1970年代になってダンヒルは色んな新基軸を始めた。昔の赤っぽい色を再現しようとサンドブラストでレッドバークを売り出した。ただ、これは漆塗りではなくて赤色の染料で試みた。染料だから木部に染み込むね。染料は時代が経つと微妙に色が変化する。これがなかなか洒落ているということで、今では昔のレッドバークがとても人気があるようだ。
- 香山:
- 吸口のエボナイトの話が松田権六氏の漆の話まで発展して、読者の皆さんもとても興味深いだろうと思う。さすがに柘さん、青羽さんという両巨頭の解説だと素直に感心した。
- 司会:
- いまさら基本的なことを聞いて恐縮なのですが、専門家が揃ったせっかくの機会なので伺います。吸口、つまりマウスピースのことを「ステム」と言う方もおられますが、用語として適切なのでしょうか? 私がかねて内心疑問に思っていたところです。
- 柘:
- 良い質問だ。
「ステム」と言う用語。これは、クレーパイプの時代から使われていたもので、その名残りだと言える。クレーパイプの場合は「ステム」の名称は正しい。また、パイプ作家セタヴィックのように、ボウルから吸口迄全てブライヤーで作られていたパイプの場合も「ステム」と呼んでいる。
だからあながち間違いではない。実際、パイプメーカーでブライヤーのエボーション(一定の規格サイズにカットされた材料の名称)から削り出す機械工場の現場では、作業員がシャンクのことをステムと呼んでいる工場もある。しかし製品となるとシャンクに呼び方が変ったりする。この時のブライヤーの作業途中のものは「ロウボウル」(Raw Bowl)と呼んでいる。サンドペーパー仕上げ工程の前の段階だ。
現在のパイプのほとんどは、シャンクと吸口に分かれている。私としてはブライヤーパイプの場合は、呼び方を「シャンク」と「吸口」と言って欲しいと思う。
ついでに言えば、英語のマウスピースという用語もウチ(柘製作所)では使わない。パイプを色々と説明する時に、あまりにもカタカナ語が多いからだ。
日本国内ではパイプ関係の基本的な用語はなるべく統一したほうが良いと思う。ウチでは「吸口」にしている。
- 司会:
- ご教示ありがとうございました。勉強になりました。
- 香山:
- ところで吸口は唇で咥えていても歯にあたりやすい部分だし、吸口を噛んで喫煙しておられる方も多い。だから長年喫って愛用していれば、どうしても傷みやすい。そうなると修理を依頼するしかない。
高価で大切なダンヒルパイプをどこに修理に出すか、エボナイトの材質と仕上げまで考慮して修理できるかどうかということが、ダンヒルパイプ愛煙家にとって大事な問題となる。愛用パイプをロンドンのダンヒル社まで送って修理するのは、時間もお金もかかるから結構大変なんだよな。
- 柘:
- 結論を先に言えば、ダンヒルパイプのエボナイト素材はドイツ製のもの、仕上げの仕事はロンドンのダンヒル工場の職人の手によるものということになる。吸口を修理されたダンヒルパイプはオリジナルコンディションとは言えない。しかし長年使ってきて傷みが大きいとやはり修理に出さざるを得ない。
現在、修理はダンヒル本社が引き受けている。日本ではウチ(柘製作所)がオーソライズドファクトリーとして行っている。もちろんエボナイトはダンヒルが使っているものと同じドイツ製のものだ。ついでに言えばホワイトスポットの材料もダンヒルから支給されている。
ダンヒル愛好家の読者の皆様、安心して修理して下さい。
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- 司会:
- ダンヒルパイプについての権威と言えば、日本では柘さんと青羽さんと言うのは誰しも認めるところ。今回から青羽さんにも加わってもらい、香山さんがインタビュアーを兼ねる鼎談という形式にしました。真贋を見極める最初の着目点のエボナイトの材質から始まったこの鼎談が、パイプと漆工芸の松田権六氏との関係を巡る秘話にまで及び、そしてパイプ愛煙家にとって切実な吸口修理の話で終わりました。読者の皆様も満足頂けたと思います。次回は、ホワイトスポットの話を軸に柘さんと青羽さん、香山さんに解説して頂きます。乞うご期待!

