パイプの愉しみ方

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続 偽ダンヒルパイプにご用心 その11   D Rシリーズとその思い出

日本パイプクラブ連盟副会長 岡山パイプクラブ会長 香山雅美

 

これまでダンヒルパイプなどの真贋判定について当ホームページにあれこれ連載してきた。ネット通販などで「ダンヒルパイプ」として売られている中古パイプの半数近くは贋物という忌まわしい現状について、パイプ喫煙愛好家に警鐘を鳴らすのが目的で書いた。当初は一回限りの読み切りのつもりだった。ところが読者の皆様の反響が大きく、日本パイプクラブ連盟事務局に問い合わせが相次いだということで、延々と拙い文章を書き連ねる羽目になってしまった。

 

振り返れば令和5年3月以降、正・続で計16回、補記の2回も含めると延べ18回に及ぶ。そろそろネタも尽きて打ち止めかなと思っていると、不思議なことに次のネタがひょいと浮かんで来る。読者の皆様のご質問や問い合わせもネタ発掘の大きなきっかけになる。

もう、こうなれば意地だ。ネタを思いつく限りは、連載を続けたい。

 

さて、今回はダンヒルパイプについてパイプ愛煙家の皆様に知っておいて頂きたい知識を紹介したい。

ダンヒルパイプには、通常の各シリーズのパイプ、記念パイプの他に、トップブランドのDRシリーズがある。DRとは、Dead Rootの意味だそうだ。つまり、ホワイトヒースの樹が老木となって立ち枯れて(Dead)しまった後、そのままずっと地中に埋まっていた根の瘤(Root)を発掘したものをパイプ素材のブライヤーにしたということらしい。

 

ご存知の通り、パイプの原材料のブライヤーは地中海沿岸諸国に自生する躑躅(ツツジ)科の灌木ホワイトヒースの木の根瘤を掘り出し、数年以上寝かせて乾かしたものだ。人が掘り出して空気中で乾かした根瘤と、枯れた後、長く地中に埋まって自然に乾いた根瘤との違いは、その方面の専門家ではないのでよく分からない。後者の方が樹脂や水分がよく抜けていてパイプの素材としてとても優れているのだそうだ。ダンヒル社がそう判断しているのだから間違いなかろう。

 

DRシリーズの特長は、ボウルの杢目(グレインと呼ぶ)が見事であり美しく、しかも軽いということだ。通常のダンヒルパイプとDRパイプを手に持って比較すれば、すぐに分かる。だから真贋判定も難しくない筈だ。限られた生産数のため、パイプ愛煙家が大切に秘蔵して滅多に中古市場に出ないという事情もあるが、私はこれまでDRシリーズのダンヒルパイプの偽物に出くわしたことはない。

 

Dead Rootは通常の根瘤と比べて稀少である。だからダンヒル社はパイプ製造に乗り出して以来、Dead Rootのブライヤーの中からグレインが良くて傷や穴が無いものを、熟練のパイプ職人にハンドメイドで作らせ、DRシリーズのブランドを立ち上げた。ダンヒルパイプは通常のパイプでも他のメーカーの高級品の2〜3倍の価格帯だが、DRシリーズはさらに高い。DRシリーズは全てグレインが美しいスムースのパイプばかりである。もし仮にサンドブラストシェルのダンヒルDRと称するパイプが中古市場で売られていたら、言うまでもなく偽物である。

 

「シリーズ」と言ったのは、グレインの美しさや緻密さ、表情、調和ぶり、職人が制作した際の全体の意匠や出来栄えによってランク付けがあるからだ。調べたところ第二次世界大戦前は、DRのランク付けはA〜Jまでの10段階に分けていたらしい。戦後になってからはA〜Hの8段階になった。

 

DR-AからDR-Fまではスターの刻印がある。順に1個から6個までだ。さらにその上にはG(7スター相当)とH(8スター相当)があるが、アルファベットの文字のみを刻印してスターの刻印はない。おそらく7つ、8つもスターを刻印すると、何となくみっともないという美的感覚からだろうと思う。

 

DRのパイプとして販売するか、通常のパイプとして販売するかは、創業者のアルフレッド・ダンヒル氏以下、歴代のダンヒル社のオーナーが、自分の眼で見て決めていたという。
Dead Rootを素材にしてハンドメイドしたパイプでも、グレインが美しくなければ、通常品に格下げになったわけだ。

 

ところが時代が進むにつれ、元々稀少なDead Rootは掘り尽くされて次第に枯渇してきた。そうなるとDRシリーズの供給は細くなる。ダンヒルのDRシリーズを欲しがっているパイプ愛好家は大勢いるから、価格は益々釣り上がった。

 

この原稿を書いているうちに、たまたま昔の資料を見つけた。

1992年当時、東京銀座・菊水でダンヒルパイプのDRシリーズは、Aの1スターで11万円、Cの3スターで29万円だった。スターの星が増えるごとに価格は倍近くになっていくという印象だった。ダンヒルの通常品が4号サイズで7万3千円だったから、最高級パイプとして君臨していたことが分かるだろう。

 

さて、ここからはDRパイプに纏わる私個人の思い出を綴る。何かの話のネタにはなるだろうから、我慢してお付き合い頂ければ幸甚だ。

 

半世紀ほど前、ダンヒルパイプに惚れ込んで蒐集し始めていた私は、なんとしてもDRシリーズが欲しかった。しかし若いサラリーマンの小遣いでは、なかなか厳しい。それでも何とかお金を貯めてようやく1スターのDR-Aを手に入れた。とても嬉しかったことを覚えている。早速、ラタキア葉を一服した。美味しさに陶然とした。「流石にダンヒル。やっぱりダンヒル」としみじみ思った。

 

DR-Aの1スターを手に入れると、次はDR-Bの2スター、DR-Cの3スター‥‥と次々に欲しくなる。ダンヒルパイプ蒐集家の業とも言えるだろう。しかしスターの数が増えるとどんどん高くなる。輸入奢侈品への税率30%の物品税があった時代だ。手が出なかった。それが何とか手が届くようになったのは、円高のおかげだ。

 

当時、私は海外出張でよく香港を訪れていた。1980年頃は1香港ドルは40円前後という為替の感覚だった。それが円高で徐々に香港ドルのレートが下がってきた。1990年頃になると1香港ドル=15円前後というあたりになった。円高の上に当時英国領で自由貿易の香港には物品税などない。それで1スター、2スタークラスなら小遣いを貯めれば買えるような価格帯になった。日本では雲の上の値段だったDR-Eの5スターも、無理すれば何とか手が届きそうな値段になった。それでも高かったが、清水の舞台から飛び降りるような覚悟でとうとう入手した。

 

毎回、香港出張時にDRシリーズのダンヒルパイプを買い求め、いつしか7、8本くらいになっていた。内心、鼻高々だった。「日本でこれだけDRシリーズを所有しているダンヒルマニアはそうはいるまい。しかも5スターのDR-Eの逸品まで手に入れた」と言うわけだ。

 

1993年10月にダンヒル創業100周年記念展が日本橋三越で開催され、ダンヒルミュージアム所蔵の逸品パイプが披露された。東京・銀座のダンヒルショップで盛大な祝賀パーティーが催され、日本国内から30名のダンヒルファンが招待された。不肖私もその末席に加えて頂いた。この話は以前紹介した。来日したリチャード・ダンヒル同社会長を囲んでのパイプ談義は貴重であり、実に楽しかった。

 

若気の至りで私は時計、ライター、スーツ、ネクタイ、ベルト、靴、靴下、ハンカチにいたるまでダンヒル製品で揃えてパーティーに出席。この時とばかりに持参したダンヒルパイプは、秘蔵していたDR-E の5スターだった。

 

リチャードさんは目を丸くして「君はダンヒルの歩く広告塔だ」と喜んで下さった。話の流れで「君は良いパイプを喫っているが、我が社のDRの最高の8スター相当のHを見たことがあるかい?」と尋ねられた。「はい、私の岡山パイプクラブのS会長が持っています。何度も見せて貰いました」と答えた。

 

ちょっと驚いた表情でリチャードさんは随行の営業部長を呼んで、「DRのHは誰が購入したか?」と尋ねた。営業部長は、革張りの大きな顧客名簿帳を広げて「日本、岡山のS氏です。香港のダンヒルショップで購入して頂きました」。リチャードさんは顔を綻ばせて「君のパイプクラブの会長さんにこうお伝え下さい。――貴方がお持ちのDR-Hは過去10数年間で唯一の8スター相当の名品です、大事に愛用して下さい――と」。

 

リチャード会長は1910年にパイプ製造に乗り出したアルフレッド・ダンヒルの甥。DRの刻印を決定する責任者だったのだ。職人がDRに相応しいと仕上げて来たパイプでも、その2割〜3割はグレインの美しさなどがDRのブランド水準に達していないと判断して、撥ねていたそうだ。1970年頃までは毎年3本程度はHを刻印できる名品パイプが出来たが、最近はGが最高とのことだった。

 

リチャードさんは「私が決めて刻印を打たせれば Hは出来る。しかし、本当に最高のダンヒルパイプだと私自身が本当に納得出来なければ、Hの文字はやはり刻めない。それがダンヒルのプライドであり、私の矜持なのだ」とおっしゃった。良い話を直に聞かせて頂き、素直に感動した。

 

この後、たまたま同宿だったホテルのバーで営業部長氏と歓談し、ダンヒルパイプの真贋の見分け方のコツを詳しく伝授して頂き、私がノートにしっかり書き留めたことは以前に紹介した。歓談の中で営業部長氏が、香港のダンヒルショップで岡山PCのS会長が手に入れた「DR-H」についての裏話を内緒で教えて下さった。

 

ここ10数年間に、リチャード会長が久々に「H」の刻印が相応しいと認定したのはこのパイプ1本だけ。最初は英国ダンヒル本店で展示したものの、余りの高額のため馴染客も溜息をついて見送ったそうだ。当時、英国経済が不振に喘いでいたと言う背景もあるだろう。そこでダンヒルファンが多い米国か日本で販売しようと考え、ニューヨーク店、サンフランシスコ店、日本では銀座・菊水の順で展示したがやはり売れなかった。それで当時、経済が活況を呈していた英領香港のダンヒルショップに回したら、S会長が購入して下さったとのことだった。

 

こうした話を岡山に帰ってすぐS会長に詳しく報告した。S会長は「菊水さんから、日本では殆ど出物がないDRのHを入荷したから買わないかとのお誘いがあった。もちろん欲しかったが、高額過ぎて流石に手が出なかった。しかし、しばらくしてたまたま香港に観光に行って、ふとダンヒルショップを覗いた時にDRシリーズのHが店頭に飾ってあった。幸運にも香港ドルが安くなっていたので、一緒に行った家内に頼み込んで手に入れた。菊水さんが勧めたHとよもや同じパイプだったとは‥‥」と驚いておられた。

 

ダンヒルのロゴが楕円形の中に入った頃から、DRシリーズのランクを示す刻印は星印から琥珀色の炎(アンバーフレイム)印に変わった。ダンヒル社は、その後、パイプ製造部門を分離独立させてザ・ホワイトスポット社になった。ホワイトスポットブランドになった今も、DRシリーズは職人のハンドメイドでコツコツと作られている。ランクを表す刻印は炎印だ。

 

私は2015年、ロンドンのダンヒル本店を訪ねた時、DRのパイプを見つけた。本店にはまだ星印の刻印のDRがあった。3スターだったので「Hはないか」と尋ねたら、Hはここ10数年製造していないとの返答だった。となると、S会長秘蔵のダンヒルパイプDRのHがおそらく最後の8スター相当の名品になる。

 

現在のDRシリーズの新品小売価格は1フレイム 269,500円、 2フレイム349,040円 、3フレイム 453,180円(2025年5月調べ)。それ以上のランクのDRシリーズは製造していないようだ。あるかもしれないが、寡聞にして私は知らない。銀座・菊水にDRのフレイム刻印のパイプがたまに入荷すると、すぐに中国人の金持ちさんが買っていくそうだ。

 

実は私はDRシリーズのダンヒルパイプを今は1本も持っていない。以前書いたが、1996年に電気コンセントに埃が溜まって私の部屋から出火し、DRのダンヒルの大半が焼け焦げてしまった。惜しいし、もったいない話だ。ただ、それが原因だろうか、DRパイプへの執着が急に冷めてしまった。自分でも何故だか説明できない。コレクター心理とは意外とそんな儚いものかもしれない。幸い焼け残った僅かなDRパイプも、パイプ仲間の友人に譲ったり、お世話になった方に差し上げたりして全て手放してしまった。

終わり