パイプの愉しみ方

パイプの愉しみ方

ラグビーW杯 フランス大会観戦記 上

JPSC 小枝 義人

 

ラグビーW杯 日本大会の遺産

 

4年に1度のラグビーW杯がフランスで開催中だ。ジャパンも出場しているとあって、7時間の時差をものともせず、夜更けや夜明けテレビ観戦で熱心に応援するファンも多い。

1987年から始まったラグビーW杯は今回が10回目、4年前の2019年は日本で初めて開催された。この時ジャパンは史上初めて予選プールを通過し、決勝トーナメントに駒を進めた。準準決勝で南アフリカに敗れたものの、南アチームが優勝を果たしたことで、「ジャパン」の実力は高く評価された。

にわかファンとよばれた小学生やお母さんたちまで、ノックオン、ジャッカルという一般には知られていないラグビー用語を口にするようになったのは驚きだった。

しかし、何よりW杯というお祭りの楽しさは格別だった。参加20チームの応援団が続々と日本にやってきた。筆者は50年来のラグビーファンではあるが、アイルランド、南アフリカ、豪州など強豪チームのユニフォーム姿の人々が会場はもちろん、日本の街中にあふれる光景は初めての体験だったし、彼らが会場で何杯ものビールを飲みつくす姿にも仰天した。

土産物屋で購入した「必勝」と書かれたハチマキを巻き、ハッピを着て銀座や浅草を歩いている外国人の姿は、なんともユーモラスであった。

「日本中、なんでこんなに楽しいんだろう」が実感だったが、高校野球の甲子園大会と同じく、敗れたチームは次々に帰途に就く。決勝当日は、頂点を目指す2チームが残るだけ。優勝チームがどこになるかは楽しみだが、「決勝が終われば、祭りもお終いか」という寂しさが、秋の夜のつるべ落としとともに、会場全体を包み込む。亡くなった安倍晋三氏も当日は現職首相として会場に来ていた。そんな宴の寂しさも味わった4年前だった。

筆者は日本大会では予選プールの南ア対ニュージーランド、アイルランド対スコットランドという南北両半球の強豪チームの激突を会場で堪能し、準決勝の南ア対ウェールズ、決勝の南ア対イングランドを横浜スタジアムで観戦し、「一生の想い出になった」と満足していた。

 

「フランスまで行こうじゃないか」

 

凱旋門前に掲げられたワールドカップのスクリーン

 

ところが、その試合をテレビで観ていたパイプ仲間で、同世代の友人から大胆な提案が出てきた。「4年後のフランス大会を仲間で観に行こう。4年後は皆定年でリタイアしているだろう。体が動くうちに、行けるうちに」。

われわれは、しばしば海外(というか欧州だが)で行われるパイプスモーキング大会に参加しており、その様子は本欄でも紹介したこともある。いっしょに現地のアパートに宿泊し、近所のスーパーやマーケットで食材を調達し、自炊生活を楽しんではいるが、せいぜい数日のことであり、長丁場ではない。

しかし、ラグビーを好きになった仲間の提案を「無碍にすることもない」と、おそらく23年には古希前後になる5人のリタイア組で4年後のフランス大会を目指すこととなった。

「言うは易し、行うは難し」ではあるが、とりあえず準備に入る。翌年からコロナ禍という大試練もあったが、次期W杯は粛々と準備が進み、3年前には大会日程、対戦組み合わせが決定。3年前から数か月前まで、パリの大会本部が数度にわたってインターネット上で、チケット販売を世界同時に実施した。

旅行会社が企画する高価で快適なツアーではなく、開幕から決勝まで、数多くの試合を観戦するためには、自前で多くのチケットを購入するしかないが、これが最大の難物。

チケット販売は世界中から1度に何十万か何百万のアクセスが殺到する。パリ時刻で午後6時スタートだから、日本では真夜中過ぎの午前様の時間帯になる。運よく早くアクセスできれば、1人数枚のチケットがまとめて定価で入手できるが、アクセスが遅ければ、すべて売り切れで、あきらめるしかない。旅行会社の企画ツアーの非常に高価なチケットを購入する気はなかった。

午前1時過ぎから明け方まで自宅のパソコンに張り付いて頑張った努力が身を結んで、幸いチケットは開幕戦のフランス・ニュージーランド戦からジャパン対サモア、アルゼンチン戦、パリ会場の予選数試合、そして決勝トーナメントの準準決勝戦から三位決定戦、決勝戦まで買いそろえることができた。

そうなると次は宿の確保だ。2か月間近いフランス滞在を全部ホテル住まいにしたら、膨大な出費になる。そこで親しいパイプ仲間数名が短期滞在用のアパルトマンを借り切り、自炊の共同生活をしながらフランス滞在を楽しみながら、毎週観戦を続けるという方針が固まった。

W杯にやってくる人々は平均でも半月は滞在し、その国を見て廻るそうだ。
われわれも高齢者ばかりでそれをやろうとしている。

試合会場はパリが中心だが、ジャパンの試合は地方で行われるから、ナント、ツールーズといった都市の宿、および鉄道のチケットの確保も必須。これは仲間の1人が1年以上前から、日程とにらめっこしながら、快適で適価な宿を次々に確保してくれた。その腕前と眼力には、現地で宿泊して皆、深く感謝した。

 

重層的な歴史を刻むフランス

 

焼失から修復中のノートルダム大聖堂

 

欧州ではよく18、9世紀の石造りやレンガ造りの建物の内部に、現代のキッチン、冷蔵庫、バスルーム、トイレを設置してリニューアルした宿舎や住宅が整備されている。

21世紀に、あたかもジャン・バルジャンやモンテ・クリスト伯が住んでいたかのような雰囲気のレンガの壁を見つめながら、半地下室のキッチンで食事する生活が楽しめる。

パリは地震もなければ、世界大戦での破壊も免れているから、なおさら昔の建物が残されていて重層的な歴史を感じる。

 

「巌窟王」を彷彿とさせる宿の煉瓦作りの半地下キッチン。中庭が広いフランスの宿

 

そして何より、食の源である農業と観光で食っているからだが、マルシェと呼ばれる市場に出かけると、新鮮な野菜、果物、魚が円安の中でもかなり安く買える。

スーパーに入ると、なんと多くのハム、ソーセージ、チーズを売っていることか。チーズ通の仲間が「これは日本で買ったら、この値段の5倍はするね」「これは日本じゃ売ってない」などと話しながら買い求めていると、横で買い物していたフランス人の青年が「こっちのチーズも酒に合うからいいぞ」と教えてくれた。

そして、ワインだ。筆者はくわしくないが、とにかく1本4ユーロ程度で買える安ワインが意外に美味い。水よりワインが安いとよく言われるのがフランスやスペインだが、ワイン好きには、「これにチーズがあれば天国ではないか」とみな機嫌がいい。

 

フランスのトゥールーズソーセージを使った料理。圧巻!巨大ワイン。

 

ランチは時々庶民的なレストランにも足を運んだが、料理の達人が2人おり、彼らが朝早くから開いているパン屋で焼き立てのバゲットを1本1.5ユーロほどで買ってきて、それに新鮮なチーズ、ハム、野菜を挟んでくれる。コーヒーメーカーでつくる苦み走ったデミタスコーヒーを飲めば、極上の朝食となる。

フランス人はタバコが大好きだ。一応屋内は禁煙とはなっているが、路上でタバコを吹かす姿があちこちで、カフェも外のテーブルには灰皿が置いてあり、喫煙は自由だ。ランチはたっぷり2時間をかけて食べる。しかし、よくあれだけカフェで延々と話が尽きないものだと感心する。せっかちな日本人から見ると、パリジャン、パリジェンヌは万事ゆったりモードだ。

 

38年ぶりのパリは猛暑

 

当初、仲間数人で9月20日過ぎ出発を予定していたが、筆者は急遽、9月8日の開幕日に合わせて先行渡仏することとなる。開幕数か月前、最後のチケット販売で、開幕試合のチケットが購入できたからである。

開催国・フランスと優勝常連国筆頭のニュージーランド・オールブラックスの一戦だった。「買えない」と思い込んでいたチケットが購入できた喜びは言い表せない。

なんとか宿を確保してもらい、先陣を切ってパリに到着した。筆者にとって1985年夏以来、38年ぶりのパリは通常ならもう秋の気配だが、なんと異常気象の中、パリも連日34、5度という東京と変わらぬ猛暑である。

仏北部に位置するパリの住居には(高級ホテルやデパート、ビジネス用のビルを除けば)ストーヴはあるが、冷房はない。窓に網戸もついていないが、この暑さでは開けっ放しだ。中国製の扇風機が置いてあったが、さすがに宿泊客からクレームが出たのだろう、7月あたりに急遽、設置したのであろうか。

暑さの中、久しぶりの凱旋門、焼け落ちて修復中のノートルダム大聖堂なども見学したが、観光は最小限にとどめ、開幕の9月8日夕、会場となるパリ郊外の「スタッド ド フランス」に向かう。

午後8時からの開会式、午後9時からの開幕戦の予定だが、ずいぶん遅い時間だと感じるが、欧州の夏はそれぐらいにならないと暗くならない。

8万人収容の大スタジアムが満員。フランスらしいセンスのいい開会式イヴェント中の上空を、仏空軍機が飛び、フランス国旗のトリコロール(青、白、赤)を表す飛行機雲をつくると、一斉に大歓声が上がった。

 

洒落た開会式の一場面

 

開会式に現れたマクロン大統領には、8万観客からブーイングの嵐、いやはやだが、物価高や旧植民地政策で批判を浴びている大統領に観衆は容赦ない。民主主義国のリーダーたる国家元首は、苦笑しながらも、これをかわしつつ、最後は拍手で退場する。

 

ラグビー界の「シルバーコレクター」

 

両チームが芝のピッチに姿を現すと、今度は8万の観客が大歓声を上げて歓迎である。ニュージーランドとフランスは因縁のライバルである。南アと並ぶ最多優勝3回を誇るニュージーランドに対し、フランスは1度も優勝していない。しかし準優勝3回は出場国最多、ラグビー界の「シルバーコレクター」である。

ニュージーランド3回の優勝のうち、2回はフランスとの決勝で、開催地はいずれもニュージーランドだった。いわばアウェイの地でフランスは優勝を逃している。直近では2011年、ニュージーランドでの決勝は8対7という最少差であった。

またニュージーランドはたびたび決勝トーナメントでフランスに苦杯をなめ、苦手としている、いわば宿敵である。

今回はパリ開催でのオープニングゲーム。優勝を義務付けられた仏チームは負けるわけにはいかない。開会前の国家斉唱では、ラ・マルセイエーズを起立した観衆が大きな声で歌う。右から左まで思想が違う国民も愛国者であることには躊躇はない。観客席の隣の若者が、筆者の肩をがっちり掴み、筆者も腕を彼の肩に回して大声で歌った(歌詞はわからないので、メロディーをうなっただけだが)。ラグビーでは国代表同士の戦いを「テスト・マッチ」と呼ぶ。そう、これはスポーツという名の戦争である。

 

開幕戦、フランス対ニュージーランド、試合前のニュージーランドのハカが始まる

 

ゲームが始まるとホームの仏観客は大声で叫ぶ。「Allez! les Bleu」

訳すと「行け!ブルー」。ブルーはフランスチームのユニフォームの色、青のこと。これが延々と繰り返される。観客の後押しにフランスチームも応える。

開幕戦時点で世界ランキング2位のフランスと4位のニュージーランド、素晴らしい攻防が80分続き、フランスが最後に連続トライを奪い、27対13でフランスが開幕戦を快勝で飾った。やはり本場での強豪チーム同士の戦いは見ごたえがある。「来てよかった」と実感した。

筆者ら仲間4人は、この2週間後、世界ランク1位のアイルランドと3位の南アフリカの予選対戦も、同じスタジアムで観戦した。こちらは圧倒的な数のアイルランドサポーターが本国から繰り出してきたが、試合はまったく互角。お互い1トライずつ。ゴールを3本全部決めたアイルランドと1本しか決められなかった南ア、13対8の僅差でアイルランドが勝利した。開幕ゲーム以上に締まった予選プール最高のゲームではなかったか。おそらく、この4か国から優勝は出るのだろう。

 

継承されるラグビー文化

 

愛国者たるわが仲間3人は、ジャパンの応援にツールーズまで出かけてサモア戦の勝利に浸り、勝ったほうが決勝トーナメント出場が決まるナントでのアルゼンチン戦では、最後の力負けに涙し、敗戦ビールを会場で一飲みし、パリに戻ってきた。

開幕からおよそ1か月、予選プールの40試合が消化され、決勝トーナメントの8チームが出そろった。ジャパンは残念ながら予選敗退となったが、次回のオーストラリア大会の出場権は確保した。4年後のニュージャパンに期待したい。

このように、ワールドカップは強豪国同士の戦いだけでなく、出場する各国の大会に賭ける思いにも、熱いものが伝わる。

 

パリの駅に掲げられたJAPAN歓迎のポスター。ジャパン対サモア戦(於:トゥールーズ)

 

勝負には負けたが、普段は闘う機会のない強豪国から、ワールドカップという舞台で獲った1本のトライが、そのチームにも、その国のラグビーファンにも与えた感動は消えないだろうし、文化として、レガシーとして永く伝え続けられるであろう。

今回、個人的に注目したチームは、16年ぶり2度目の出場を果たしたポルトガルだった。ヘッドコーチのパトリス・ラディスケ氏は第1回のワールドカップ、フランス代表選手だったと記憶する。

その指導力と選手の熱意は、強豪ウェールズから奪ったトライに象徴されたが、さらなるサプライズが待っていた。予選最終戦であるフィジーに終了1分前にトライ・コンバージョンを決め、1点差で、ワールドカップ初勝利を達成したことだ。フィジーは決勝トーナメントに出場する強豪である。そこからの初勝利は15年、ジャパンが南アに勝利したのと同じ価値があるだろう。

この試合で代表引退を決めていたポルトガルの選手は「こんな形で終えるなんて信じられないこと」と喜びを表現すれば、フィジーのキャプテンも「おめでとう。彼らに敬意を表し、勝利を祝福します」とコメントしている。これがラグビーというスポーツの素晴らしさだ。

フィジーは準準決勝ではイングランドと対戦する。直前の8月にはフィジーはアウェイの地でイングランドから史上初勝利をおさめている因縁の相手だ。10月14日からは準準決勝、準決勝、3位決定戦、決勝と続く。皆でパリに滞在し、観戦予定である。次回の観戦報告はフランスの社会、庶民生活スケッチも交えてお送りする予定。